銀座のクラブ街の洋菓子店「ピエスモンテ」ロングインタビュー

~ コロナの影響は?伝説の洋菓子店エルドールと、銀座「甘い戦争」とは? ~

2021.03.30
文、撮影:ユキイデ
銀座並木通り「クラブ御用達」というイメージが強い高級洋菓子店ピエスモンテ。コロナに伴う緊急事態宣言を受けてお店はどの様な状況になっているのか?代表取締役でありパティシエの下村昌輝さんにお話を伺いました。お店のこだわり・経営方針を深く聞いていると、下村さんのお父さんが立ち上げた伝説の洋菓子店「エルドール」の話題にも及びました。銀座「甘い戦争」と言われた時代を勝ち抜いたヒストリーと、ピエスモンテの未来をたくさん語っていただきました。
  • クラブ街が静かな中、売上半減でとどめている
  • 妥協しない味へのこだわり、銀座でトップの洋菓子店としての自負
  • ピエスモンテの前身、伝説の洋菓子店エルドールと銀座「甘い戦争」
  • 下村さんが間違いないとオススメする京橋の名店「HIDEMI SUGINO」
  • 百貨店出店NGのピエスモンテが変わりつつある!?

ショーケースにたくさん並ぶのは14時頃だという

銀座8丁目並木通り沿いにあるピエスモンテは、バブル期だった1987年(昭和62年)にオープン。「銀座のクラブ御用達」というイメージが強い。綺麗なお姉さん達が待つクラブへ向かうお客さんが、夜遅くまで営業しているピエスモンテで高級ケーキを手土産として購入する、という流れです。

コロナに伴う緊急事態宣言で飲食店への営業時間短縮要請。特に「夜の街」という言葉が先走り、銀座のクラブも大きな打撃を受けています。ピエスモンテはクラブ街に位置し相当の打撃があるのではないか…?
ナーバスな話題であったため慎重に取材を申し込んだところ、代表取締役でありパティシエの下村さんは快く取材を引き受けてくださいました。
焼きたてのケーキの美味しそうなにおいが漂う店内で、ひと通り商品の説明を聞き、お店からすぐ近くにある倉庫にも案内して貰いました。

クラブ街と一心同体のピエスモンテ、売上は半減にとどめる

ピエスモンテの下村昌輝社長

緊急事態宣言が続いています(取材日:2021年3月17日)。ピエスモンテは銀座のクラブ街に位置するお店です。相当なダメージではないでしょうか?コロナで始めた取り組みなどはありますか?
銀座のクラブ街の勢いと一心同体なので、やっぱり打撃は大きいですね。それでも売上は半減ぐらいに抑えられています。
コロナで始めた取り組みとしては、オンラインサイトの宣伝を強化し、通販用に冷凍ケーキも開発しました。焼きたてがもちろん美味しいのですけど、お店での販売にこだわらず、オンラインからでもお客様が来てくれるように、冷凍・解凍しても美味しいケーキを開発しました。
そうですか。周りのクラブがほとんど営業していないので、もっとダメージが大きいかと思っていました。
昼間に来られるお客様が増えています。これはコロナだからそうなったのではなくて、ここ数年で昼間と夜のお客様の割合が半々ぐらいになっています。あと、夜に来られていたお客さまが、昼にご来店いただき、クラブではなくご家族のために買っていただいているのでは、と思います。

妥協しない味へのこだわり

一番人気のアップルパイ。ピーク時期は1日50台も焼くのだという

夜と昼のお客さんの割合が半々なのですね。何か営業方針を変えたのでしょうか?
2018年に父から僕にお店の代替わりを行いまして。と言ってもピエスモンテの味が変わったわけではありません。これまで通り材料や味に妥協はなく、最高の味をお届けする方針はそのままです。
僕が代表になり、銀実会(※)に入会したり挨拶まわりをしたり営業活動を行うようになりました。その成果が出てきたのか、おかげ様で企業のお客様からオーダーケーキなどのご注文も増えてきました。
父が築き上げてきた味は、銀座でもトップランクだと自負しています。
洋菓子店の寿命は10年持てば良いと言われている中で、ピエスモンテは30年以上銀座の美食の皆様に愛されてきました。お店の価値・ブランドは十分に出来上がったのと思います。これからはSNSで情報発信をしたり、それを打ち出していくことも必要かなと思っています。

※銀実会・・・銀座の商店・会社経営者のメンバーで構成される青年団体。

伝説の洋菓子店エルドールと、銀座「甘い戦争」

かつてあった場所には「エルドールビル」としてまだ存在する(銀座6丁目)

お父様は伝説の洋菓子店「エルドール」のご出身とお聞きしました。詳しく教えていただけますか。
エルドールは1971年(昭和46年)に父が立ち上げたは洋菓子店ですね。当時は銀座6丁目にあり、ビルのオーナーとの共同経営でした。
父は満州で生まれ山口県で育ち、早稲田大学を卒業後、自動車メーカーの営業マンをしていました。ですのでもともと洋菓子職人だったわけではありません。
たまたま銀座に自動車でやって来た時に、夜なのに営業しているお菓子屋さんを目撃したらしく、しかも次々にお菓子が売れて行くのを見て「え!?お菓子って昼に売れるものじゃないの?」と、その光景に驚いたらしいです。特別な世界がそこにあり、その世界に挑戦したい!と思い、洋菓子職人の道を進み出しました。
エルドールを始める時に「銀座は特別な街だから特別なケーキを作ろう!」と考え、材料を厳選し味にとにかくこだわり、高くても美味しいと認めてもらえれば買ってくれるお客様が必ずいるはず…という信念でした。その信念を貫き、エルドールは銀座の街で「高級だけど美味しい」と評価されたのだと思います。

初公開!?ピエスモンテ内のキッチン

凄い経緯ですね。その後ピエスモンテをオープンしたと思うのですが、当時の銀座は競争が激しかったのではないでしょうか?
父は1987年(昭和62年)エルドールから独立し、5月にピエスモンテをオープンさせました。エルドールは父が抜けた後、2.3年で閉店したと聞いています。
当時バブル真っ盛りで、銀座の並木通りも人で溢れていたらしいです。洋菓子店はピエスモンテだけでなく、アマンド、コージーコーナー、ウエストなど、沢山の店が銀座の各ブロックに存在し、業界内では「甘い戦争」とすら言われていました。

「甘い戦争」当時の銀座を語る下村さん

「甘い戦争」!始めて聞きました。その戦争を勝ち抜いた秘訣みたいなものはあるのでしょうか?
生き残れた理由は「味」だと思います。銀座の街の人は本当に美味しいものを良く知っています。ピエスモンテはとにかく味にこだわりました。味のためなら材料費が高くても一切妥協しません。マーガリンを混ぜずバターを使いますし、香料を使わず本物のバニラビーンズを使います。なので、どうしても販売価格は高くなります。お客様が納得すれば高くても買ってもらえる。そのこだわりが銀座の皆様に認められ、結果的にトップランクになれたのだと思います。

下村さんが作るオーダーケーキは芸術の域

銀座だから成し遂げられたのかもしれませんね。とは言うものの、苦難もあるのではないでしょうか?
そうですね。ウチよりも大手メーカーさんの方が利益が出ていると思いますよ(笑)。
例えばですけど、大将がひとりで経営しているこだわりの高級寿司店と、誰もが知っている回転寿司チェーン店では、回転寿司チェーン店の方が利益が大きいはずです。ピエスモンテは前者だと思います。もちろん生活がかかっているのでお金を稼がなくちゃいけないですけど、それ以上に味にこだわりたい・お客様に喜んでもらいたい、というのが大きいですね。

丁寧な接客を行う販売スタッフの富田さん

下村さんは最初からピエスモンテを継ごうと思っていたのですか?
いいえ。小さい頃から店を継ごうとは思っていなかったです。
ですが食べることが好きで、学生時代のアルバイトは飲食店ばかりでした。飲食業界についても興味がありました。実は親戚や家系にサラリーマンがほとんどいないのです。
ある時父にこう言われました。
「商売人の子は商売人。職人の子は職人。お前にはサラリーマンは勤まらないよ。そういう遺伝子なんだ。」
ピエスモンテでもアルバイトをしていた時期があって、その時に社員の方達や、OBの方に「社長の息子が店にいてると嬉しい」と言っていただいて。その言葉を聞いて、この店を継承するのが自分の使命なのかなと考えました。ピエスモンテに関わる色んな人の事を考えたら自分がやるべきなんだろうなという責任感ですかね。(店を継ごうと決意したのは)歴史があるというところだけだと思います。僕がやらないと言ったら店も閉めていたでしょうし、父も誰かに売るということは考えていなかったので。残すべきものかなと思いピエスモンテを引継ぎました。
それから、あるものは全部使う主義なので(笑)。

※エルドール、ピエスモンテを立ち上げた下村さんのお父様は2018年会長に就任し一線から退き、2020年10月逝去されました。

ピエスモンテも称賛する京橋「HIDEMI SUGINO」

京橋「HIDEMI SUGINO」

ところで、味にこだわり続ける下村さんですが、下村さんがオススメする洋菓子店はありますか?
自由が丘の「パティスリー・パリセヴェイユ」と、京橋の「HIDEMI SUGINO」ですね。
この2つのお店は間違いなく美味しいです!洋菓子業界の人達の間でも、あそこは美味しい!と言っています。材料も妥協していない。味もしっかりした味。さっぱり軽い味ではなく重厚な味わい。人によって好みはどうしてもあると思うのですけど、僕ら作り手のプロから言わせてもらうと、しっかりとした味・香り・風味、その観点で言うと、この2つお店が間違いないです。

百貨店出店NGだったピエスモンテ、これからの展望

こだわりぬいたピエスモンテのケーキはとても美しい

これからのピエスモンテの展望をお聞かせください。
ピエスモンテという店のブランドを発信していきたいと思っています。
父は百貨店で販売するとブランドが落ちると考え、百貨店の出店はやりませんでした。このお店でしか買えないプレミア感を出したかったのだと思います。僕はより多くの人に楽しんでもらうことも必要かなと思っています。

コラボ企画の「りんごのコンポート・カスタードコッペ」

そうですか。では先日、松屋銀座で開催された「GINZAで繋がるコッペパン」は歴史的瞬間だったのではないですか!?
そうかもしれませんね(笑)
実は、又聞きでなんですけど、百貨店のバイヤーさんの引継ぎ・申し送り事項のノートがあるらしいのですけど、そのノートに「ピエスモンテ 不可、絶対ムリ」と書かれてあるらしいです(笑) なぜなら、バブルの時期は毎日のように百貨店のバイヤーさんから出店して欲しいと相談が来ていたみたいですが父が全部断っていました。
だから今回の、もの繋ぎプロジェクトでの松屋銀座さんは凄いビックリされたみたいです。
僕は情報発信することでブランドが落ちるとは思いません。百貨店に出店することでブランド力があるという考え方もあるので。
なるほど。頑なに伝統を守るタイプのお店と思っていました。
いえ。バブルの時と今では社会システムが違うので、社会システムに合った戦略が必要です。ピエスモンテは、お菓子の価値は十分出来上がっているので、それの使い道だと思います。道具は有るので道具の使い道を考えよう、という考え方ですね。

「銀座は良い方向に背伸びできる街」と語る下村社長

とても深い話をありがとうございました。最後に中央区民マガジンの読者にメッセージをお願いします。
難しいですね!(笑) 
中央区の銀座は上品ですよね。歩いている人も。日本には色んな繁華街がありますが、銀座はその中で一番上品な街だと思います。表通りは華やかな高級店が多いですが、路地に入れば安くて素敵な店がある。どの店も品があるし、来る人も品がある。
父は銀座の街で商売をしていたのですが一匹狼でした。僕が銀美会に入ったら、なんとピエスモンテの昔からの常連の方がいました。父は街の中でひとりでやっていたけど、みなさんと繋がっていたんだなと思いました。その繋がりが余計に街に愛着が湧いた瞬間でした。
銀座は歴史がある街、ドラマが生まれる街だと思います。そして誰もが簡単にそのドラマに参加できる街だと思います。ピエスモンテもそんなドラマを少しでも演出したいと思います。ぜひ少しだけ背伸びして銀座の街で遊び、お店に立ち寄っていただければと思います。

お店の名前「ピエスモンテ」の意味について教えていただきました。
【語源はフランス語"Piece Montee"で「小さな断片を積み上げた」と言う意味。一般に飾り菓子のことを指す。これはナポレオンに仕えた菓子職人、ルポーが考案したとされ、19世紀には菓子職人の技の競い合いにより、次々と菓子の芸術が生まれた。この言葉を店名に付け、菓子の味と形の芸術を目指し、製品作りに心をこめている。】-とのこと。
下村さんは「時間の制限のある仕事は素晴らしいものが生まれない」と職人の目線で語る一方、「ここ30年のテクノロジーの進化は凄まじく、しっかり目を向け変化に対応していかなくてはならない。」とも語り、経営者としてバランスの取れた意見を述べました。
ピエスモンテのケーキやお菓子はクラブのためだけに存在するのではなく、中央区に住む人々にとっても「少し背伸びする」プチ贅沢できるものではないでしょうか。人口が20万人に到達すると言われ、銀座のまわりの高速道路も20年後には緑化する計画があります。そんな激変する銀座ですが、変わらぬ最高の味を提供し続けるお店であって欲しいです!

ピエスモンテ
中央区銀座8-6-22 銀座ピアースビル1F
電話:03-3574-0960
営業時間:月~金 12時~23時、土 12時~20時
定休日:日、祝祭日
※延長・短縮を行う場合があります。正確な情報はお店のHP、SNSをご確認ください。
ホームページ
http://www.piecemontee.co.jp/
Twitter
https://twitter.com/g_piecemontee
Instagram
https://www.instagram.com/ginzapiecemontee/


↓ ピエスモンテも参加した銀座もの繋ぎプロジェクト 「GINZAで繋がるコッペパン」 ↓

ユキイデ (編集部)

2006年から日本橋エリアに住み始める。 南大阪生まれの巨漢。デスメタルが大好き。 おばあちゃん子。

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