中央区民マガジン

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阪本小学校が150周年!地域の力で何度も復活した谷崎潤一郎の母校(1/2ページ)

~ 阪本小・有馬小が150周年、中央小が30周年。歴史ある中央区の小学校を紹介(1/3回目) ~

2024.01.25
文、撮影:ユキイデ
歴史ある伝統校がたくさんある中央区。2022年(令和4年)に常盤小学校と久松小学校が150周年を迎え、その模様を記事で紹介しましたが、続いて2023年(令和5年)には阪本小学校と有馬小学校が開校150周年を迎えました。中央小学校も30周年を迎え、秋には阪本、有馬、中央の3校がそれぞれ記念式典と祝賀会を開催。各校に足を運び、歴史ある学校の過去と未来について取材しました。今回は阪本、有馬、中央の順番で3回に分けて小学校を紹介していきます。(1/2ページ)

開校150周年 阪本小学校

重厚感のある美しい新校舎

中央区立阪本小学校
明治6年5月7日開校。関東大震災により校舎全焼。昭和3年に復興小学校として3階建て鉄筋コンクリートの校舎が落成。太平洋戦争では校舎の70%が消失。地域の人々が復興委員会を設立し校舎を修復。令和2年8月に現在の新校舎落成。児童数202名(令和5年10月1日現在)。阪本小学校は平成21年4月から特認校(※)として指定されている。

学校法人渋谷教育学園阪本こども園
明治28年に阪本幼稚園が開園。児童数減少により平成6年から休園、令和3年3月に閉園となり、同年4月、中央区で初めて公募された公私連携幼保連携型認定こども園として同園が開園された。前身の阪本幼稚園の伝統を継承しするかたちで阪本小学校の1階部分を使用し、教育・保育を一体的に行い、いわば幼稚園と保育所の両方の良さを併せ持つ施設として注目されている。短時間(幼稚園)45人、長時間(保育所)72人、合計定員117人。

阪本小は明治6年に「第一大学区 第一中学校 第一番官立小学 阪本学校」として創立され、その名前から「一、一、一」の「一番学校」として有名です。文豪谷崎潤一郎、歌舞伎役者市川左団次、地震学者大森房吉ほか数々の著名人を輩出しています。
重厚感があり美しい校舎は、隣接する坂本町公園からの眺めが最高。公園の芝生が映え、時々校舎から子ども達の声が聞こえてきて、この上ない心地良さです。

※小学校特認校制:中央区では通学区域を前提としながらも、施設に余裕のある学校を「特認校」として指定し、その特認校には通学区域に関係なく、希望により就学できる制度。城東・泰明・京橋築地・常盤・阪本の5校。

6階屋上校庭

阪本小は美しいだけではなく設備も最新。6階屋上に校庭があり、天井が開閉する全天候型のシステムが導入されています。広さは一周70mのトラックと50mの直線。1階には床面が可動して水深が調整できるプールがあり、学校の授業だけでなく地域にも開放。中央区地域スポーツクラブ大江戸日本橋・京橋「Maple」などで利用したことがある人も多いのではないでしょうか。

150周年記念石碑

150周年を記念して設置された石碑。側面には近隣の協賛企業である平和不動産、田中貴金属工業、日経グループQUICK、極東証券などの名前が彫られていました。

PTA会長 伊藤洋平さん(左)、校長 小川優さん(右)

気さくな雰囲気で取材に応じてくれた伊藤PTA会長と小川校長。伝統校ということで少し緊張して取材に臨みましたが、笑顔でいろんなお話をしてくれました。

令和5年11月11日(土)に開校150周年記念式典と祝賀会を開催。「一、一、一」の「一番学校」ということで、11月11日。なんとも縁起の良い日ですね。お二人に記念式典と祝賀会の様子を振り返っていただきました。

祝賀会で披露された「纏いの振り込み・木遣り」(※写真協力:平和不動産株式会社)

祝歌「おめでとう阪本」

記念式典の「よろこびのことば」では、全児童が歌を3曲歌唱。その中で「おめでとう阪本」という祝歌も歌われたのだとか。校歌ではなく祝歌があるというのはとても珍しいですね。さらに、式典後のアトラクションでは、4~6年生による邦楽演奏(「江戸賛歌」)と日本舞踊が披露。約2年前から構想し、子どもたちは何ヶ月もかけて猛特訓したらしいです。

ベアーズウインドオーケストラによる演奏(※写真協力:平和不動産株式会社)

小川校長はこう振り返ります。「子どもたちは本当に一生懸命取り組んでくれました。子どもたちは阪本小のことを誇りに思ってくれていると思います。」

美しく整理された歴史記念室

5階にある歴史記念室も見学させてもらいました。さすが伝統校だけあって、広い部屋に綺麗に整理され展示されています。
会長になってまだ1年目だと語る伊藤PTA会長。次のように語りました。
「正直、学校の歴史はあまり存じていなかったのですが、今回の150周年行事をやるに当たり、地域の方々からお話を聞く機会が多くありました。関東大震災、戦災の度に校舎が被害を受け、行政の支援をちゃんと受けられない中、周辺の地域の方々が修理に駆けつけたと聞きました。ご自身の家やお店が被災しているのに、仕事が終わった後に端材などを持ち寄ったそうです。そういった支えが無ければ今の阪本小はないと思います。今回の150周年に携わって、個人的にも阪本小に対する愛着や想いが深まりました。」

まだ整理されていない資料も沢山

新校舎が完成した時、歴史資料室には段ボールがまだ山積みだったらしく、それを地域の方々が手伝いに来てくれたのだとか。
「地域の方々の学校に対する深い愛情と情熱には胸を強く打たれます。」小川校長はそう語り、いろんな資料を紹介してくれました。

貴重な写真を発見!

上の写真は平成14年に撮影されたもの。阪本小の子どもたちが総理官邸を訪れ、FIFA日韓ワールドカップ決勝戦の演出のための折り鶴を折っている時の写真です。写真には当時の小泉総理大臣と、岸田文部科学副大臣が!

50年前の100周年の記念誌

伊藤PTA会長が印象に残っているという資料を紹介してくれました。
「今回の周年行事のために過去の資料を調べていたら、100周年の記念誌に『将来150周年を迎える日を皆で頑張ってください。』と書かれてありました。これには感動しましたね!」

年表の未来の余白を指差す小川校長

小川校長は優しい眼差しで150周年記念行事を振り返り、未来についても語りました。
「150周年は地域の皆さんから大きな拍手と称賛の言葉をいただきました。本当に素晴らしい子どもたちに恵まれたと思います。感謝の気持ちで一杯です。この気持ちに報いることは、現在の子どもたち一人一人を立派に成長させることであると考えます。」

坂本町の歴史

150周年祝賀会は場所を変えてKABUTO ONEの4階大ホールで開催されました。区議会議員、地域の町会や企業の方など、約180人が集まり大盛況だったそうです。
ところで、誰もが一度は疑問を抱く!?「阪本」or「坂本」問題。阪本小学校は「阪」ですが、隣の公園は「坂」の坂本町公園。公園に設置されているパネルには元々の地名が「坂本町」だったことが記載されています。明治期に「大坂」が「大阪」に変わったように、恐らくそういう言葉の縁起を担ぐ意味があったのではないか?と推測されます。阪本小学校も、きっと歴史の流れに柔軟に対応したからこそ長い歴史を築いてこれたのではないでしょうか。

次のページでは記事に掲載しきれなかった写真をいくつか載せています。

中央区立阪本小学校
住所:中央区日本橋兜町15-18
ホームページ


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(2/2):記事に掲載しきれなかった写真

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ユキイデ (編集部)

2006年から日本橋エリアに住み始める。 南大阪生まれの巨漢。デスメタルが大好き。 おばあちゃん子。

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