中央区民マガジン

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有馬小学校150周年!幼稚園78周年!有馬記念との関係は?受け継がれる伝統とチャレンジ精神(1/2ページ)

~ 阪本小・有馬小が150周年、中央小が30周年。歴史ある中央区の小学校を紹介(2/3回目) ~

2024.01.26
文、撮影:ユキイデ
歴史ある伝統校がたくさんある中央区。2022年(令和4年)に常盤小学校と久松小学校が150周年を迎え、その模様を記事で紹介しましたが、続いて2023年(令和5年)には阪本小学校と有馬小学校が開校150周年を迎えました。中央小学校も30周年を迎え、秋には阪本、有馬、中央の3校がそれぞれ記念式典と祝賀会を開催。各校に足を運び、歴史ある学校の過去と未来について取材しました。今回はシリーズ2回目、有馬小学校を紹介します。(1/2ページ)

有馬小学校150周年 、有馬幼稚園78周年

中央区立有馬小学校
明治6年12月 幼童学所設置、翌年に第1学区第1中学区第6番効率有馬小学校と改める。校名の由来は水天宮の本宮がある福岡・久留米の藩主、有馬氏からの寄付を受けて創立されたことから。関東大震災により校舎焼失。昭和2年に前校舎落成。戦災は免れるも、隣の浜町小学校が焼失。同地域の児童を有馬に収容。
昭和62年3月現在の校舎が完成。平成18年プレディ開始。平成29年大規模改修工事完了。令和5年11月25日(土)に開校150周年・開園78周年記念式典・祝賀会を開催。児童数675名(令和5年5月1日現在)。令和5年3月までの卒業生は計12,400人。

中央区立有馬幼稚園
昭和18年9月 有馬小内に戦時託児所開設。昭和22年 学生改正により現在の中央区立有馬幼稚園という園名になる。平成20年預かり保育開始。平成28年9月現在の有馬幼稚園新園舎完成。園児数97名(令和5年6月30日現在)

有馬小の校庭は蛎殻町公園と隣接しており、学校で使用しない時間は校庭が開放されて、誰もが利用できる公園になります。土地の狭い中央区日本橋エリアならではのユニークな取り組みです。有馬小のまわりにはロイヤルパークホテル、T-CAT、そして「ごはんですよ!」の(株)桃屋、「べったら漬け」で有名な(株)東京にいたか屋などがあります。

記念式典で配布された冊子

水天宮宮司 有馬様のお話を聞く会

有馬小の歴史を振り返る上でとても密接な関係なのが、すぐ近くの水天宮です。水天宮の現在の宮司は有馬頼央(よりなか)さん。そうです、有馬小の設立に多大な尽力をした有馬家の末裔なのです。有馬頼央さんは有馬小に訪れ「水天宮宮司 有馬様のお話を聞く会」を開催。受講した子どもたちはきっと貴重な学びを得たことでしょう。

ちなみに、有馬頼央さんの祖父である有馬頼寧(よりやす)さんは、農林大臣や日本中央競馬会理事長を務めた方で、あの年末の競馬イベント「有馬記念」を提案・設立するきっかけになった方なのです。

PTA会長 菊池理良さん

地域の少年野球チーム「有馬スワローズ」のウェアを着て登場した菊池PTA会長。この時点で有馬への愛がひしひしと伝わってきます。
「式典のアトラクションでは、子どもたちがダブルダッチ、有馬音頭などを披露しました。式典の日だけでなく、通年で子ども達が学び楽しめる行事を開催してきました。卒業生であるお笑い芸人の金魚番長を呼んでお祝い集会をやったり、宇宙飛行士の山崎直子さんの講演も行いました。子どもたちにとって今は実感がないかもしれませんが、何年か後に『150周年ではこんなことしたな…』ということを思い出してくれたら嬉しいですね。」

周辺企業からの協力があったと語る菊池PTA会長

150周年を迎えるにあたり、ロイヤルパークホテル、T-CAT、桃屋など周辺企業からの協賛があったのだとか。
「改めて地域の皆さまに支えられていると実感しましたね。本当にありがたいです。」

伝家の宝刀ダブルダッチ!

有馬といえばダブルダッチ。OBが世界大会で優勝するなど、その活躍は輝かしいものがあります。過去に熱心な先生がいたらしく、クラブ活動ではない放課後に有志で練習したのが始まりなのだとか。以前に当マガジンでも取材しましたが、日本橋中学校のダブルダッチも世界レベル。今後も有馬小、日本橋中の活躍に期待したいですね。

校長 小林一輝さん

令和4年から有馬小に就任したという小林校長。最初から地域の方々からのバックアップを感じていたが、150周年行事を通じて改めてその大きさを実感したとのこと。
「地域の方、保護者の方の支えがあって有馬が成立しているのだと実感できました。学校ありきじゃなく、地域、保護者、学校の関係性で子どもたちは生活して、成長しているのだと思います。」

4階史料室

4階の史料室を見学させてもらいました。こじんまりした部屋ですが、とても見やすくパネル展示されています。

この「有馬のあゆみ」によると、十思小は有馬小の分校だったのですね。他にも、となりの久松小が改築工事の時は有馬で児童を受け入れた時期があったことや、中央区の夏の風物詩、浜町公園で開催される大江戸祭りですが、平成7年に校庭(蛎殻町公園)を開放して開催されたことがあった、と記載されていました。

安田靭彦は有馬小の卒業生

近代日本画の有名な画家、安田靭彦も有馬小の卒業生。先ほど小林校長の後ろに写っていた美しい梅の花の絵も安田靭彦が描いたもの。有馬小にために寄贈されたそうです。

有馬を見守り続けている大きな銀杏

1987年3月4日と5月2日の朝日新聞の記事によると、当時近くに住んでいた中村康子さんのエピソードが書かれてあります。
「関東大震災のときは、夜になって周りが火の海に包まれ、あの大樹の下に避難したのです。」
中村さん一家は蛎殻町公園に逃げ込んだところ、幸運にもこの銀杏が火の粉を防いでくれて助かったのです。
当時は別の場所にあったのですが、現在の校舎が完成した際、今の場所に移植されたそうです。陽当たりを心配する声がありましたが、当時の有馬小の皆の努力により、令和になった今も元気に育ち、鮮やかな紅葉が色づいています。関東大震災で人々の命を命を守り、戦災も免れた銀杏は、紛れもなく有馬小の護り神ではないでしょうか。

有馬小の校庭が砂なのは?

最後に有馬小の地域に関わるちょっと面白いエピソードを紹介します。上の写真は有馬小の校庭(蛎殻町公園)で、地面は砂です。となりの久松小と日本橋小は全天候型舗装。つまり砂ではなくゴムのようなやつです。「有馬も校庭を舗装しないのですか?」と小林校長に質問すると、「今のところ考えていませんね。蛎殻町公園との関係もあるのですが、やはり神田祭りのためでしょうか!(笑)」と、少し冗談を交えて語りました。ご存知の方も多いと思いますが、神田祭りではこの場所に馬がやってきて附け祭の出陣式が行われます。舗装された地面だと馬が傷つけてしまう可能性があるのだと思います。

有馬小のことを調べると必ず地域との関わりがあり、今回の取材は地域のことについて大変勉強になりました。伝統校だけど、ダブルダッチや金管バンドに取り組んだり、自らの体力向上を目指す「マイスクールスポーツ」の推進に取り組んだり、新しいことに挑戦する風土も見えた気がしました。校舎に大きく掲げられた「仲間と共に未来にチャレンジ!」という言葉がピッタリな学校だと感じました。

次のページでは記事に掲載しきれなかった写真をいくつか載せています。

中央区立有馬小学校
住所:日本橋蛎殻町2-10ー23
ホームページ


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(2/2):記事に掲載しきれなかった写真

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ユキイデ (編集部)

2006年から日本橋エリアに住み始める。 南大阪生まれの巨漢。デスメタルが大好き。 おばあちゃん子。

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