築地外国人居留地(現:明石町)学校発祥の地を巡る

~ 中央区観光検定にも出題される⁉ 築地駅から歩ける学校発祥の地巡り ~

2020.01.23
文、撮影:齊藤 豊
築地駅からほど近い聖路加国際病院の周辺は多くの学校の発祥の地となっています。
慶應義塾をはじめとして、青山学院、女子聖学院、明治学院、雙葉学園、関東学院、立教女学院、立教学院、女子学院などの幕末から明治期にかけて次々と設立されました。

学校発祥の地 記念碑一覧マップ

これらの学校の中で慶應義塾だけちょっと違和感がありませんか。
そうです。慶應義塾以外はキリスト教系の学校です。

慶應義塾発祥の地

多くの学校は、この辺り(当時:築地鉄砲洲 現在:中央区明石町)が明治2(1869)年に外国人居留地になった後にできました。
もうその時には、慶應義塾は移転していました。
福澤諭吉先生は、1858年にこの地にあった中津藩中屋敷に蘭学塾を開きました。
1861年に一時的に芝新銭座に移転し、1863年にここに戻り、さらに1868年に芝新銭座の有馬家控屋敷(現在の東京都港区浜松町1丁目、神明小学校のあたり)に移転しました(慶應義塾Webサイト)。

女子学院発祥の地

立教学院発祥の地

立教女学院 築地居留地校舎跡

のちに慶應義塾の向かいに女子学院(A六番女学校)が1870年に、立教学院が1874年に設立されますが、もうそのときには慶應義塾は移転した後ということになります。

明治学院発祥の地

ちなみに明治学院は1863年にヘボン塾として横浜で設立されましたが築地にやってきたのは1880年です。

青山学院記念の地

雙葉学園発祥の地

暁星学院発祥の地

女子聖学院発祥の地

関東学院の源流 東京中学院発祥の地

青山学院が1874年、雙葉学園が1875年、暁星学院が1888年、女子聖学院が1905年、関東学院(東京中学院)が同じく1905年がそれぞれの設立年もしくは築地に移転してきた年になります。

慶應義塾がこの地に設立された経緯は三田評論によると、安政5(1858)年10月中旬、中津藩江戸屋敷にて蘭学を教授するため、大坂の適塾で塾長を務めていた福澤先生に江戸出府の命令が下り、この地に来たそうです。
福澤先生は自伝の中に「滞りなく江戸に着いて、まず木挽(こびき)町汐留の奥平屋敷に行ったところが、鉄砲洲に中屋敷がある、そこの長屋を貸すというので、」と書き残しました(加藤三明「『自伝』の中の江戸(その1)」『三田評論』2009年11月号)。

その後、築地外国人居留地は1899年の治外法権撤廃で廃止され、1923年の関東大震災で、立ち並んでいた洋館は全て失われたそうです。

聖路加国際大学

聖路加国際大学は、1920年にトイスラーが設立した聖路加国際病院附属高等看護婦学校が母体となっています。
立教大学によれば、聖路加病院が開設された築地居留地37番は、ウィリアムズが私財を投じて購入した土地で、病院開設前は、立教の校舎(当時は、立教大学校)が建っていた場所でした。
居留地37番を後にした立教学院は、居留地57~60番へと移転しますが、その場所が現在の聖路加国際大学の敷地です。立教学院と聖路加国際大学は、米国聖公会を母体とする教育機関で非常に近い関係にあります(立教大学Webサイト)。

長い年月が流れ2020年の現在、この地に残るのは聖路加国際大学だけとなりました。その他の学校の現在地は下表のとおりです。

齊藤 豊 (区民ライター)

中央区在住20年の大学教授です。縁あって中央区民ニュースの記者になりました。

今回の記事は区民ライターに応募いただいた大学教授の齊藤豊さんに執筆いただきました。
通りかかる度に「そうなんだぁ…」と思う程度でしたが、注目するとこんな歴史があることにビックリしました。
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