菊廼舎さんは、明治23年(1890年)初代・井田銀次郎さんが創業されました。当時は歌舞伎煎餅を販売しており、その後大正後期になると、二代目がお茶の席で出される落雁などの干菓子を糸口に、現在も販売されている「冨貴寄」を生み出しました。
~ ブリキ缶に閉じ込められた魔法の世界、心がときめく冨貴寄 ~
菊廼舎さんは、明治23年(1890年)初代・井田銀次郎さんが創業されました。当時は歌舞伎煎餅を販売しており、その後大正後期になると、二代目がお茶の席で出される落雁などの干菓子を糸口に、現在も販売されている「冨貴寄」を生み出しました。
大正後期といいますと、大正デモクラシーやモダンガールという言葉が当てはまる時代ですね。ショートヘアーやボブにウエストがきゅっと締まった洋装、釣鐘のような形のクロシェ帽を被った女性が「銀ぶら」を楽しんでいた風景を想像してください。
しかし、第二次世界大戦が勃発。三代目は戦禍を凌ぎ、昭和23年より銀座5丁目あづま通りで営業を再開しました。
現在は五代目・代表取締役社長の井田裕二さんが、銀座5丁目のあづまビル1階で本店を営んでいます。
お店に入って目に飛び込んでくるのは、大きさやカラーバリエーションも豊富な冨貴寄の数々。はじめはガラス瓶や壺に入れられていたそうですが、今では丸や四角のブリキ缶がメインとなっています。打ち出の小槌やお財布といった縁起物が描かれれたデザインは、三代目が考案したのちデザイナーさんへ持ち込んだとのこと。また、カラーバリエーションも、三代目が青、四代目が赤、そして五代目の裕二さんが白を取り入れ、そのほか水色や季節ごとの色も用意されています。
缶を包む外装にも季節感や遊び心が取り入れられているので、蓋を開ける前から菊廼舎さんの世界観に触れることができるのも印象的です。
今回はその中でも、私にとって非常に思い出深い冨貴寄「ハート日和」をご紹介したいと思います。
冨貴寄「ハート日和(1,080円)」
重厚感漂う紅の蓋を開くと、そこには溢れそうなほどぎっしりと詰められた美味しい干菓子たち!!
心安らぐ香ばしくて甘い香りが立ち上ります。
ひと際目を惹く淡い桃色のハートは雲平(うんぺい)という甘い干菓子。おちゃめな顔の鯛や宝石のような山も食べるのが勿体ない…菊廼舎さんのロゴマークである「菊」がデザインされた落雁も、豌豆(えんどう)粉のまろやかな風味が濃厚です。
小さなクッキーは、小麦粉、砂糖、卵のみを使用!バターなどの油分がはいっていないので、ヘルシーで軽やかな歯ごたえが特徴的。お味も胡麻やケシの実、青のりやココナッツなど、ひとくちごとに異なるフレーバーを味わえるほか、一緒に頂く人とお互いのお気に入りを見つけるのも楽しいひとときになりそうですね。私のおすすめは、青のりとココナッツです。
老若男女問わず誰しも口にしたであろう金平糖、親指と人差し指で挟んで光に透かしてしまうのは私だけではないはず。
こちらも、色ごとに味が違うんです!美しい、だけでは済まさない拘りを体験してみてくださいね。
先ほどちらりと触れた私の思い出。それは、娘が誕生して間もなくのことでした。
産後二週間が経過したある日、住まいのお隣のご夫婦から出産祝いとしてハート日和をいただきました。
しかし、一日の半分以上を授乳に費やし、地元青森から上京し泊りがけでサポートしてくれた義母とのイレギュラーな生活、友人たちに会えない日々に、私の神経はかなりすり減っていました。そしてある日、義母が買い物に出かけている間、授乳を終えてぐったりしていた私は、いただいたハート日和を思い出しました。
可愛らしい桜の包装にトクンと胸が弾みそっと包みを開くと、深みのある臙脂に煌く銀色の絵柄に視線が釘付けに。思い切っての蓋を右手で掴んで引き上げると、思わず「わぁ。」と口に出てしまいました。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く冨貴寄は、まるで魔法やおとぎの世界がそのまま具現化したようなお菓子たち。ひとつひとつ手に取っては味わい、しばらく現実を忘れて自分だけの世界を堪能。
これが冨貴寄と私の初めての出会いでした。
(1/2):「銀座 菊廼舎」の冨貴寄(銀座五丁目)←NOW!
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