この記念碑の由来はちょうど100年前の関東大震災。東京は火の海に包まれ、逃げ場を失くした人は橋上に避難したのですが多くの橋が焼け落ちてしまいました。そんな中、新大橋は持ちこたえ多くの人命を救いました。そのことから新大橋は「お助け橋」「人助け橋」と呼ばれるようになりました。
~ 記念碑は今年4月に区民有形文化財にも登録 ~
関東大震災避難記念碑
この記念碑の由来はちょうど100年前の関東大震災。東京は火の海に包まれ、逃げ場を失くした人は橋上に避難したのですが多くの橋が焼け落ちてしまいました。そんな中、新大橋は持ちこたえ多くの人命を救いました。そのことから新大橋は「お助け橋」「人助け橋」と呼ばれるようになりました。
「人助け橋」に救われた人達によってこの記念碑は震災から10年後の昭和8年(1933年)に建てられました。
年に一度の大掃除
ここまでは昨年の記事にも書いたことなのですが、実はこの記念碑、元々はもっと川べりにあったようで、石碑自体は昭和39年以降に再建したと推定されるとのこと。
区の文化財登録にあたり詳細を調査する中で新しい事実も発見されています。
一方で所有者は未だに特定できておらず、所有者不明のままで文化財登録されるのは珍しいことだそうです。本当に感謝の気持ちから自然発生的に建立された記念碑なのでしょう。
真夏のような強い陽射し
記念碑の大掃除も今年で三年目。
初回は何十年も放置された状態で苔を落とすためにそれこそ重労働でしたが、3年目ともなると日頃の管理もあり順調に清掃は終了。
去年は地元消防団の放水で締めたのですが、今年はバケツリレーで優しく一年の汚れを流しました。
防災訓練を兼ねたバケツリレー
恒例になりつつある記念碑の大掃除と共に「人助け橋」の物語と震災の教訓は受け継がれていきます。関東大震災から100年。9月は防災の月。
防災の再認識がこの記念碑の存在価値だと思います。
この記事を読んだ方は、ぜひ今一度身の回りの「備え」をチェックしてみてください。
昨日、モロッコで大きな地震が発生したくさんの死傷者が出ました。今この時も救助作業が続いています。現地の方々の無事と一日でも早い復興を祈念しております。
地域企業・団体に協賛いただいてます
山下信治 (編集長)
中央区民マガジン編集長。その割に中央区に住み始めて10年程度の新参者。BABYMETALとコリドラスが心の拠り所。東京都板橋区出身。